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島田紳助さんの幼少期やお笑い戦略、家族のこと、美学

島田紳助さんが好きで、引退してからもYOUTUBEを見たりしているKです。

松本紳助や行列、さんまとの26時間テレビ、吉本の後輩に語った「XとYの分析」などは何回も見ました。

今回は2001年の週刊文春で紳助さんの記事を見つけて、彼の幼少期やお笑い戦略、家族のこと、美学などが語られていて大変面白くて残しておきたかったので、このブログでシェアしたいと思います。

週刊文春2001.6.14.P74より
家の履歴書『先は“島田興産”の家賃収入で暮らしながら淡路島で釣り三昧や』
島田紳助(タレント)
1956(昭和34)年、京都市生まれ。本名:長谷川公彦。高校卒業後、”島田洋之介・今喜多代”に入門、77年松本竜介とコンビを組み漫才デビュー、爆発的人気を得る.85年コンビ解散後は司会やトーク番粗で活躍する他、映画監督やオートバイチームのオーナーも。3女あり。
  実家は今もそこですけど、西大路と言うて、京都の下のほうなんです。初めはちっちゃい、長屋みたいな家でしたよ。土地だって二十坪ぐらいやから。何度も増築して、四年前に三階建てにしました。
  僕は一人っ子やから何でも買ってもらえましたけど、買ってもらいながら、冷めた自分がいたんです、「これは間違った教育やな」と。それあんまり言うと、親父が悲しがるけど、僕はずっとそう思ってきたんです。そやから自分に子供ができたら物を買い与えんとこ、と思ってました。
  親父は大阪外大を出て国鉄に入ったんですけど、親父の生き方を「違うな」と思ったのは小学校3年の時です。親父は一生懸命勉強して国鉄の上級試験を受けたけど、筆記試験は受かっても、面接で落ちたんです。そのことに親父はすごく矛盾を感じるわけですね。僕は子供やからわからん振りしてましたけど、わかってたんです。人間、真面目だけではアカンのやと。そして大人になった時、国鉄が親父を面接で落としたことは正しかったと思いました。だってもし親父が管理職になってたら、駅で事故があった時、責任を感じて死んでたと思いますから。親父はそんな人なんです。でも人の上に立つ人間は、勉強だけじゃなく、懐も広うないといかんしカリスマ性もないといかんでしょう。
  僕は友達の間でリーダー的存在やったけど、勉強は嫌いでした。それ、親のせいです。僕が小学校三年の時に家庭教師を付けたから。祖父は染物屋で、「商人の子に学問は要らん」という考えだったから、親父には不満やったんですね。だから僕には勉強させてやろうと思ったわけです。僕は自分の娘が小学校三年で塾に行きたいと言った時、行かさなかった。四年生からでええと。
漫才ブームの頃は慢性睡眠不足いつもドアや柱に激突していた
  中学時代、長谷川公彦(本名)君はかなりワルかった。
  大谷高校がいい学校で、助かったんです。僕が中学でやった事件が高校へ入ってわかった時、「中学で起こしたことは問わない」ちゅうて、処分しなかったんです。前に講演頼まれて行った時、全校生徒に言いました、「こんな高校へ入った段階で君ら負けや。ここからいい大学に行って勉強で食える人間は三パーセントや。あとの九七パーセントの目的は、高卒という資格を貰うこと、人間関係を学ぶことや。こんな所で力を使うな。いつか人生で三年だけ思いっきりエネルギーをぶつけなアカン時が来る。その時までカを溜めとけ」と。すごい逆説やけど、生徒には目茶苦茶ウケましたわ。先生も「ええ話やった」言うてくれて。
  恥ずかしいて言えへんような大学やけど受かって、親父も行け言うし、そのつもりでいたら、ある日、NHKの漫才コンテストで”B&B”というコンビが優秀話術賞を取ったのを見たんです。洋七さんがメチャおもろくてね。僕が普段、友達を笑わせてる笑いと同じやったから驚きました。将来こういう笑いが認められる時が来るのとちゃうやろか。じゃあ、この人を倒すことに自分の青春を懸けてみようと思ったんです。でもどこへ行っていいかわからないから、洋七さんの師匠を調べたんです。それが”島田洋之介・今喜多代”師匠でした。
  このベテラン夫婦漫才の舞台を、青年は一度も見たことがなかった。うめだ花月に行ったのも、弟子入り志願のために訪れたその時が初めて。なのにいきなり「内弟子にして下さい」と。
  喜多代師匠に「あなた、何言ってんの。内弟子のほうがきついのよ」って言われたんですけど、「わかってます。でも僕、一人っ子なんで、両親とどっかで一回縁切らんとダメやと思うんです」って。
  親父は反対したけど、最後には「お前の好きにせえや」って。我が儘な一人っ子に内弟子なんかできるわけない、すぐやめると思ったんでしょうね。だから大学の授業料を一年分払いよったんです。
  師匠の家は奈良の生駒にあリました。他人の家で二年間暮らすのはやっばりきつかったですよね。もう一遍やれ言われても、できませんわ。けど当時は、どんなことがあってもこの二年間はやめんとこ、やめる時は死ぬ時やと決めてました。この世界に入る時の決意は誰よりも強かったと思います。でも今思うたら、決意の程度なんか関係ないんですね。遊び半分で入っても、入ってから本気になる子もおれば、命懸けで入ってきても簡単にやめる子もおるし。要は結果なんです。
  師匠の所にいてホンマよかったと思います。僕の人生の主な考え方はこの二年間でできましたもんね。特に喜多代師匠に教えられたことはメチャメチャ大きかったです。
  例えば師匠の布団畳んだ時、喜多代師匠に言われました、「長谷川君、これではダメや。折り紙を折るみたいにきっちり四隅を合わせなさい。人はあなたのことを四六時中は見てくれへん。人は一瞬の出会いや。たまたまあんたが布団畳んでるところを見て、きちっと畳んでたら、人はあんたを『きちんとした子やな』と思う。その逆やったら『何ちゅうええ加減な奴や』と思われる。つまらんでしょう」。
  その代わり、一所懸命やってて失敗しても絶対怒らない。NHKの生放送で、僕、師匠の衣装を持ってくるの忘れたんです。大変なことなのに、喜多代師匠は笑うてはりましたもんね。「お父さん、この子、私達がボケてないか試してんのよ」って。後日、「何で怒らなかったんですか?」と聞いたら、「あの日はあんた朝から忙しかった。完璧にやってた。それで忘れるのは仕方ないやないの」って。ホンマ素晴らしい方ですよ。
  年が明けて青年は実家に戻ったが、これはと思う漫才の相方が見つからず、バイトをしながらイベントを。だが中央市場でもサパークラブでも、いくら「一時的なバイトだ」と言っても、すぐに責任者にされた。内弟子時代に培われた完璧な仕事ぶりが買われたのだ。
  収入もいいから、水商売に落ちつく気だったんです。それを止めてくれたのが”一球・写楽”の前田一球君やったんです。僕の仕事が終わる夜中の三時まで待ってくれて、京都の家で朝まで僕を説得してくれたんです。「お前は俺らより才能がある。そのお前がバッターポックスに立たずにやめるのは卑怯や」と。けどその後、僕がバーッと売れた時、冗談で言うてましたよ、「あん時、止めんかったらよかった」って(笑)。
  ”島田紳助”(師匠が命名)がめざす漫才に付いてきてくれる相方。それが、明石家さんまに紹介された松本竜介だった。紳助さんは彼に言った、「俺の思う通りやらせてくれ。絶対売れる。でも長続きしない。いつかコンビは解消する。だからお互い自分のために勉強しよう」。時に二十一歳、デビューは京都花月劇場。そして彼の言葉通り、”紳助・竜介”は爆発的に売れた。
  デビュー当時は服部(大阪府豊中市)のアパートでした。六畳と二畳、風呂なし共同トイレ。家賃一万二千五百円。あんまりボロやから、三力月後に中津町(茨木市)の1DKマンションを借りたんです。家賃五万五千円。これを払えるか悩んでねえ。ここで嫁(妻)が妊娠したんです。知り合うたんは僕が二十歳、嫁が十九。僕がバイトしながらイベントやってた時です。いえいえ、ファンじゃないです。ファンなんか全然いなかったから。僕ら切符買うてもらわないかんから、道行く人に売ってて、嫁も道行く人やった(笑)。中津町の部屋へ週一回掃除に来てたのが二回になり三回になり、一緒に住むようになったんです。
  長女の万起さんが生まれたのは、次の中央区難波の2LDKマンション。家賃十万円。ここで、人気お笑い番組「オレたちひょうきん族」が始まり、漫才ブームが来た。
  この時が一番寝てへん時ですわ。忙し過ぎて、どこで漫才してるかわからないんです。身体はフラフラ、手も足も皮めくれるし。ドア開けてて自分の頭ぶつけるんです。平衡感覚ないから。駅の柱に激突したり。コントですよ。
  この二年間は人生の激流期で、次々に新しい漫才が出てきて一ヶ月で順番が入れ替わってたから、人ばっかりマークしてました。”やすし・きよし”師匠や”巨人・阪神”さんは正統派漫才で、僕らは障害レースやから、分野が違うんですね。だから正直言うて、その時マークしてたのは”(太平)サブロー・シロー”ですわ。普通のコンビは力合わせても百にならんけど、この二人が協力したら百点満点になるんです。それが脅威やった。けど幸い最後までそれはなくて(笑)、二人は百を超えてショートしたんです。「ひょうきん族」にはさほど思い入れはないんです。あれはさんまと(ビート)たけしさんの番組やから。漫才ブームの後に”ピン”(単独で仕事をする)の時代が来る、その時どうするか、僕はそればっかり考えてました。番組の休憩時間も徴妙な会話するんです、互いの戦略を明かさないで。僕、たけしさんはどうするのかなと思ってました。役者ではないだろうと。そしたら、たけしさんが「役者はいけねえよな」ってボソッと。僕が「いけませんよね」。後年、(片岡)鶴ちゃんと当時の話をしたら、彼は「司会は紳助さんには敵わないから自分は役者でいこうと思った」って。残る人は考えてますよ。流されてない。さんまは長嶋茂雄。鋭いオチがあるわけやないのに華がある。何でもないサードゴロを華麗に取るんです(笑)。あの明るさには敵いません。彼は四十五年間躁状態やから(笑)。僕はむしろ「わくわく動物ランド」のほうに力入れてました。これを機にお茶の間に入らないかんと。
  何歳でお笑いの賞を取る、何歳で大阪でレギュラー、東京でレギュラー、自分の番組を持つ、本を出す・…恐るべき冷静さと分析力で全てを計画より一年早いペースで実現していった。唯一遅れたのは映画監督。「風、スローダウン」は五年遅れの三十五歳の時だった。数年前、紳助さんは奥さんに離婚を言いだされた。
  「あなたや娘達は夢がある。私も自分を試してみたい」と。考えた末、財産を半分に分けて月収の三割を奥さんに渡すという条件なら離婚を呑むと言うと、「それでは一から出直せない」と奥さんが拒否。結局、今も仲良く暮らしている。
  きれいごとやなしに、僕が今あるのは嫁のお蔭なんです。俺は親父に似て気が小さいから、前に女性問題が報道された時も「もう終わりや」って凹んでたら、嫁が「いいやんか。親に貰ったもの潰したら怒られるけど、自分が築いたもの潰しても誰も文句言わへんよ」って。俺、嫁のそういう太っ腹に何度救われたか。いや、真面目やないですよ、僕。女遊びも博打もしたし……。ただ、生きることに対しては真剣かもしれませんね。四年前に自律神経失調症になって、今も薬飲んでますけど、医者が言いました「明日でええわって思う人はこういう病気にはなりません」て(笑)。
  テレ朝の報道番組「サンデープロジェクト」での見事な司会ぷりについては、「アホな子でも十二年英会話へ通ったら、相手の言うことがわかります。喋れないだけで。あれが報道番組の東大なら、僕は単なる聴講生で。賢そうに見てくれはることに感謝してます」。この憎いばかりの客観性は、近著『ぼくの生きかた』(KTC中央出版)に顕著だ。三人の娘さんがこれまた真面目。長女は関西大学法学部で司法試験をめざして勉強中。次女は立命館大学をやめて米国留学中。三女は関西大学第一中学に。二十六歳で買った吹田市江坂の家に十一年。今は豊能郡能勢町の、実に七千二百坪の家に。東京と淡路島の他にもマンションを持ち、自ら「島田興産や」と笑う。
僕はタレントどして終ってるでも参院選出馬だけはない!
  あの子ら勉強ばっかりするんですよ。次女なんか、アメリカで一日に十時間以上勉強してるって言うんですよ。頭おかしいとしか思えん。次女が高校の時、僕が「何でそんなに勉強するんや。目標決めんと勉強しても意味ないでえ」って言うたら、「おっとう、それは違う。たくさん勉強すれば、人生の選択肢が増えんねん」って。なるほど、勉強するちゅうのはそういうことかと、娘に教えられましたわ。長女は国家試験めざしてるけど、ゼーッタイ無理。でもいいんです。過程が大事やから。僕、言うんです、「俺はスポンサーや。草レースに金払えるかい。パリ・ダカとかル・マンに出るいうから金出すんや。その代わりダラダラしてたら、スポンサーはすぐ撤退ッ。勝てへんでもスポンサーが納得するレースせえ」。
  うちは長女がぺースメーカ-ですわ。長女が言うには、「ゆか(次女)が一番賢い。あの子はイチローや。行くべくしてアメリカに行った。私は新庄や。周りがやめとけ言うのに司法試験受けようとしてる」「ほな舞(三女)は何や?」って聞いたら、「カツノリや。親に溺愛されて生きてる」言うてね(笑)。
父親が誰よりも孫娘達の勉強ぷリを喜んでいるとか
  母親は明るくて喜怒哀楽が激しいけど、親父は無口でね。小学校の時、親父と二人で金比羅さんに旅行したことあるんですけど、二度と行くまいと思うたもんね。会話ないんやもん。国鉄に勤めてた時も、毎日同じ電車に乗って、タ方六時四十五分には必ず家に帰ってましたよ。酒も煙草もやらん。女遊びなんてとんでもない。何がおもろいんかなあ。親父もアパート持ってて年金もあるし、生活の心配はないんです。そやのに旅行もせんし物も買わへん。おかんに「いつも汚い恰好してる」って怒られてる。僕も「使えや」って小遣いやるんやけど、貯金しおるんですよ。けど最近わかった。初めて親父と理解し合えたんです。親父は”使う豊かさ”やなくて”持ってる豊かさ”なんやと。年とって生活の心配するより、こんだけあれば安心やと思える、そういう豊かさやないかって。親父に言うたら、「そうや」って言いましたね。僕はタレントとしてもう終ってます。先は家賃収入で暮らしながら淡路島で魚釣るんです。一つ考えてることあるけど、今は秘密です。参院選出馬?いや、それはハッキリ言いますわ。絶対ない。僕が、タレントで売れた後に国会議員になろう思うてこの世界に入ったんやったら別やけど、今なろうと思うたらなれるから議員になるて、カッコ悪いじゃないですか。それ、俺の美学と違うもん。

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