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豊臣秀吉の壮絶な人生に感動した話

皆さんにオススメしたい本があります。

それが豊臣秀吉の一生を書いた本である、『新史太閤記』という本です。

目次

あらすじ

日本史上、もっとも巧みに人の心を捉えた“人蕩し”の天才、豊臣秀吉。

生れながらの猿面を人間的魅力に転じ、見事な演出力で次々に名将たちを統合し、ついに日本六十余州を制覇した英雄の生涯を描く歴史長編。

この作品は秀吉の出世物語だと思っていたが、その時代に生きた武将たちの人間劇場であり、人間学の解説書のようでもある。

持ち前の構想力や計算力を駆使しながら、的確な判断力と行動力で勝利に結びつけていく秀吉の姿が、生き生きと描かれている。

印象に残ったところ

幼少期の壮絶な過去

秀吉が、10代の終わり、諸国を流浪していたころ。

遠州浜松で今川家の被官の屋敷につれてゆかれ、庭先にすわらされて人々の見世物になっていた。

その屋敷の夫人や姫が、まるで猿にやるように栗を投げあたえた。

藤吉郎(のちの秀吉)はそれを感謝し、ひとが喜ぶよう、わざと前歯で剥いて食ってみせた。
秀吉はここまで迎合しなければ、生きてゆけなかった。

芯の強さ

自分の好きな顔ではない人と縁談をしたときも(おのれの猿に似ている顔の手前、あきらめねばならぬ)とは思わなかった。

そして、秀吉は自分の容貌の醜さにひけめを感じたことは一度もないという。

どうすれば、この顔が自分のために役立つか。

いわば顔だけを取り外して、それを1個の道具として考えていた。

顔は己の精神にあって自分ではない。

秀吉にとって顔は自分とは別の、単に道具にすぎなかった。

神技のような人間接触法

  • 納戸役に抜擢されると、同格の近郷の侍屋敷を駆け回り、納戸役と親しくなり、紙と油の需要をひとまとめにして、それらの商品を安くまとめ買いし、奉公人に儲けさせようとした。
  • 信長にいたずらでしょんべんをかけられた時、信長の性格を見抜き、わざと怒った。
  • 昇格すると「寧々、奇妙なことよ。お前を貰うと、禄がついた。なんとおまえは福女であるらしい」といって、妻の寧々を喜ばせた。
  • 「人の気が沈めば、戦はしまいだ」と絶えず笑い声を立てて守備隊と作業隊を励ました。
  • 蟄居中にわざと乱痴気騒ぎを演じることで、反乱の意がないことを暗に示した。
  • 人から好意をうけたときは、思いきって喜んだ。
  • 自分を殺したいほどにきらっている者を、そのまま生かし、日本第一等の大名にしてみせることで、器の大きさを世間に知らしめた。
  • 「わしはひとの手柄を盗むほど才のまずしい男ではない。たのみがある。この御馬を、頂戴してくれ。ほめらるべきは、わしではない」と部下に手柄をゆずった。
  • 相手の言いずらいことを機敏に察して、聞かないようにしていた。
  • 信長に殺せと言われた人でも哀れに思い、それを救おうとした。
  • 信長が死んでも、信長の側近官僚などにも態度を変えず丁重に接した。
  • 高値な金をはらい傘や蓑を集め、それらを戦闘後の死傷者にかけさせ、せめて烈日の直射だけでもそれによってふせがせた。
  • 人質を連れてこられても、心底を見届けた以上無用である、とあっさり彼らの人質をこの場で返した。
  • 供ひとり連れずに敵城に乗りこみ、説得を行った。

高松城の水攻め

秀吉の才能と特徴が顕著に表れているのが高松城の水攻めであろう。

頭を殴られたような衝撃を覚えた。

「湖をつくるのよ」
秀吉は地形も変え、風景も変えようとしていた。

地を変えるという発想は神のものであり、人のものではなかった。

土俵一俵を運んでくれば、銭百文と米一俵を与えるという。

土が、米と黄金になるという神話のような話がやがて事実とわかり、一帯の人間は発狂した。

「みろ、人がうごく」「世を動かすのは、これだ」
と、秀吉は言った。

これ、というのは人間の欲望を指している。

その結果、攻めあぐねていた高松城の周囲に約2.6kmの堤防を12日間で築き、折からの梅雨も利用して足守川の水を引き入れ、水の中の孤城とした。

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織田信長から褒められた場面

「筑前守(秀吉)の功名、古今無類である」

「侍ほどの者は、この筑前にあやかりたいものだ」
と、信長は大声でいった。

秀吉はこの破格な、虹のような栄光に気が遠くなるような思いであった。

20代で織田家に仕えていらい、骨身を削って尽くしてきた粒々の辛苦が、この一瞬だけで報われたようにも思われた。

「筑前、なんとか申せ」と信長が言った時

秀吉はすでに突っ伏したまま泣き、肩をふるわせおえつを忍び、声にも言葉にもならなかった。
秀吉はこの日の感激が、後年になっても忘れられなかった。

まとめ

貧しい農民のせがれから天下人に成り上がった豊臣秀吉ほど面白い人生を歩んだ人はいないと思いました。

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
秀吉の辞世の句として知られます。

夢の中で夢を見ているような、はかない一生だった、といったところでしょうか。

この秀吉の最後の言葉である辞世の句は、みなさんの心にどう響きましたか?

太閤記は、大阪城での徳川家康への謁見にて幕を閉じています。

いわば秀吉の絶頂期で筆を置いた司馬遼太郎の判断は流石だと思いました。

『新史太閤記』、興味があれば一度ご覧になってみて下さいね。

新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)
司馬 遼太郎 新潮社 1973-05-29

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