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自分の話している言葉に、体温と体重をのせる

自分の言葉で思いを伝えている人は聞いている人の心に響く。

話を聞いていて面白いと思う人とそうでない人は何が違うのか。

演説など言葉を大事にしている政治家の中でもスピーチの名手と言われる田中角栄と小泉進次郎の二人について、自分なりに考察してみました。

そこでわかった共通する1つのポイントについて考えてみたいと思います。

目次

自分流の言葉をつかい、定型文はできるだけ使わない

小泉進次郎流に言うと、『自分の話している言葉に、体温と体重をのせる』ということです。

私が常に心がけていることは、自分の話している言葉に、体温と体重をのせることです。

実際、言葉に体温と体重はありません。温度を測ることはできないし、体重を量ることもできません。

だけど必ず、言葉には温度・体温、それがのります。

そして、受け取る側の感じる重量、それが必ずあると僕は信じています。

だからこそ、今日も後ろにはマスコミのみなさんがいますけど、30分話したってそのまま報じてくれるところはありません。 (会場笑)

いかに、切り取られるところが……致命傷は負わない言葉を選びながら、最も伝わるメッセージを選ぶには、そこに体温と体重がなきゃダメなんです。

引用:logmi

小泉進次郎は次のような言葉も言っている。

「田中さんの言葉には体重が乗っかって、体温があってね。それとリズムがある。僕の中でいつも考えていることなんです」

例えば、田中角栄は自派幹部の金丸信代代議士の亡父の七回忌法要でこんな挨拶をしている。

「みなさんッ、金丸クンはよく口ではズケズケものをいうが、ホントは芯から人情細やかなんだ。 いいですか、中央自動車が開通したのも、これは何より金丸クンの政治力なんです。 まぁ、金丸くんは近代化した武田信玄ッ。私は上杉謙信だな」

演説の場合はこうである。

「医者だってノミのキンタマばかり研究しおって医学博士になっても一人前とは言えん。 すべてのものを総合的に判断できて正しい処方箋とならなきゃだめだ」

これが自分の言葉で話すことであり、角栄の演説がウケる理由の一つである。

小泉進次郎はどうか。

彼はご当地ネタで勝負する。

名所旧跡や観光スポットを五分でも訪ねておいて、

「私はここに来る前に展望台に行って、この街の全景を眺めてまいりました」と演説の口火を切る。

群馬県の街頭演説では、こんな語りから始める。

「父と話をしてきたんですよ。実は群馬は、父が疎開をしていたところなんです。昨日、父に言ったら、『懐かしいなあ、疎開してたんだよなあ』と言ってました」

そして演説の最後は、群馬名物のダルマにかけて、 「群馬のみなさん、ダルマの目が両方入るように自民党を応援してください」 ピシャリと締めくくり、大きな拍手を浴びるのだ。

小泉進次郎にとって自分の言葉とは現場主義に基づいたスピーチのことだ。

「行った、という事実が大事なんです。 演説のつかみでその土地のことを話す時、本当に行った上で話しているのかそうじゃないのかは聴衆にバレますから。」

そう小泉進次郎が語れば、角栄はこんな言葉を遺す。

「誰それがこう言った、あの人のこういう見方は正しいと思う、それは何々の本によるところですね といったうんちくをひらかすことが得意な人がいる。しかし悲しいかな、自分の言葉がない」

自分の言葉とは「自分の流儀」ということだ。

スピーチは高慢な話である必要もなければ、気の利いたことを言う必要もない。

自分の言葉で、自分流で堂々と話せば自ずと人の心をとらえる。

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